旧小倉家住宅母屋は、東海道の脇街道である 「矢倉沢往還 」の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築で、神奈川下においても江戸時代の商家建築遺構はほとんどみられません。
母屋は街道に面して建ち、間取りは街道から見て、左手に広い土間があり、土間沿いの街道寄りに床高の低い12.5畳の 「みせ 」、奥に10畳の 「ざしき 」、右手前方寄りに8畳の 「なんど 」、その奥に床と棚を持つ8畳の 「おくざしき 」があります。屋根は建築当時は茅葺きを軒先まで葺き下ろした大きな入母屋造りの屋根でした。建築年代については、棟札などの資料はありませんが、建築調査の際見つかった 「ざしき 」床板の裏側に書かれた落書き中に 「安政三年 」の年紀があり、また、建築の構造手法からみてもこの時期の建築とみてさしつかえないようです。
母屋の姿は、横浜居留外国人向け英字新聞 「ザ・ファーイースト 」明治4年10月4日号に掲載された下鶴間宿の写真の中に見られ、当時の様子を窺い知ることができます。 |